千葉県立夷隅高等学校時代 1950(昭和25)〜1965(昭和40)
- 1950(昭和25)年
- 勝浦校舎に普通科2・3年生、漁業科、水産製造科1年生、御宿校舎に家政科1〜3年生でスタートする。
※以後の御宿校舎については、[御宿・県立高校]のページにて紹介する。
- 1951(昭和26)年
- 水産課程(漁業科、水産製造科)が虫浦の水産校舎に移転。
普通課程、水産課程(漁業コース、水産製造コース、水産経営コース、無線通信コース)となる。
- 1953(昭和28)年
- 勝浦、虫浦、御宿3校舎合同の体育祭が初めて開催される。
- 1954(昭和29)年
- 水産経営科(コース)が募集停止となる。
- 1956(昭和31)年
- 水産課程がコース制を廃止し、小課程を設置する。普通科、漁業科、水産製造科、無線通信科となる。
- 1957(昭和32)年
- 普通科が募集停止となる。
- 1958(昭和33)年
- 県立大多喜高等学校定時制総野分校閉校に伴い、生徒の編入を前提に商業科別科(週5日、1年制)を新設する。
- 1959(昭和34)年
- 9月18日、校歌が制定される。(作詞 勝承夫、作曲 平井康三郎)
- 1962(昭和37)年
- 校章が制定される。
商業科別科にかわり、普通科が使っていた勝浦校舎を使用して商業科が新設される。
その後に続く、漁業科、水産製造科、無線通信科、商業科の4科体制が整う。
- 1965(昭和40)年
- 御宿校舎が千葉県立御宿家政高等学校として独立する。
10月、現在の校地に新校舎の建設が始まる。第一期として3階建A棟、4階建B棟、AB棟を連絡するC棟が建設される。
千葉県立夷隅高等学校校歌 作詞 勝承夫 作曲 平井康三郎
輝く海を 心の友と
親しむわれら 清き若人
潮の香のたゞよう庭よ
新しき叡智の窓よ
純情の日を 楽しく集う
夷隅高校 われらが光
見晴らす岬 みどりは深く
寄る波白く 夢をささやく
はてもなく広がる希望
たゆみなき錬磨のちかい
平和の文化 この手に築く
夷隅高校 われらが誇り
舳(みよし)を揃え 力を揃え
あす待つ空に 雲は燃えたつ
海に行く英気のつばさ
家守る万朶(ばんだ)のさくら
友情こめて 楽しく集う
夷隅高校 栄えある母校
夷隅高等学校校歌はここをクリックすると演奏をお聴きになれます
千葉県立夷隅高等学校校章
外房の荒波に揉まれても、くじけることなく毅然とした不屈の精神の養成を象徴する、大きな波の上に「高」の文字を象った町立高校時代の校章があった。
これをもとに、水産高校の「水」を象った金モールに、波と「高」の文字をあしらった新しい校章がつくられた。
千葉県立夷隅高等学校の校舎
現在の勝浦若潮高等学校所在地にあった、夷隅高等学校普通科校舎。
虫浦にあった夷隅高等学校水産校舎の正門。
虫浦にあった夷隅高等学校水産校舎を職員室前からみたもの。
1957(昭和32)年当時の校舎。1942(昭和17)年に建てられた町立勝浦実業学校時代から使用されているもので普通科校舎、水産科分校舎として使用されていた。
1958(昭和33)年当時、虫浦にあった県立夷隅高等学校水産校舎全景。旧旭造船所の建物を改修した校舎だった。