期日  平成15年7月8日(火) 13時30分から14時30分まで
演題 「生徒指導におけるカウンセリングマインドについて」
講師 スクールカウンセラー  遠藤みゆき 先生



期日  平成14年7月5日(金) 13時から14時まで
演題 「学校生活における同和問題」
講師 社団法人千葉県人権啓発センター
       理事 鎌田 行平 先生



期日  平成14年3月11日(月) 13時から14時まで
演題 「同和(人権)教育について」
講師 社団法人千葉県人権啓発センター理事長
      千葉県同和教育推進協議会会長 藤島 高 先生



期日  平成13年12月6日(木) 13時から14時まで
演題 「人間形成における家庭と学校」
講師 東洋大学名誉教授 西村 忠 先生


内容  服務について   プレゼンテーション
日時  平成13年7月9日(月) 13:00~14:00
講師  千葉県教育庁高校教育課管理主事 中村道代 先生



平成十年度夢を育む教育推進事業記念講演会

 平成九年九月十二日(金)東金文化会館において、夢を育む教育推進事業に伴う講演会が実施された。この事業は、前年度本校が千葉県教育委員会に申請した希望が認められ、平成九年度の研究指定校に指定されたことにより実現したものである。この事業を実施するにあたり、教頭、教務主任、生徒指導主事、農場長、各学科主任からなる検討委員会が設けられ、事業内容等について検討がされてきた。その結果、講演会を実施するという方向で意見がまとまり、職員会議での承認を経て講師の選考にとりかかった。
 この事業のねらいは、「各界で活躍されている輝いている方々を招き、人問としての在り方・生き方等の実践から、生徒の将来の夢や希望を実現させる高校生活及び生き甲斐を支援する」ことであった。この趣旨にそって選考を重ね、農学博士の石川武男先生とタレントであり酪農家の田中義剛さんにお願いすることになった。
 石川先生は、島根県出身で東京農工大学、岩手大学で教鞭を執られた方で、特に岩手大学では農学部長を十年問も務められた(異例の長さである)大変人望の厚い方である。また、学生が興味を持つような授業を行うために様々な努力をされ、面白いところでは漫画の学校(同期に「サザエさん」の作者である故長谷川町子さんもいたという)に通い、絵を用いた講義を作り出したそうである。現在は、日本全国で講演しておられ、その講演は情熱に満ち溢れ、漫画の心得をいかした大変印象深い内容である。
 田中さんは、青森県出身で酪農学園大学卒業後、北海道でタレント活動を始めた。その後東京に拠点を移し、多数のレギュラー番組やコマーシャル等で活躍されている方である。田中さんは、高校生の頃から「牧場をやりたい」という夢を持っておられ、一九九五年に念願がかなって、北海道・中札内村に二十三万平方メートルの牧場が完成した。そして現在、北海道と東京を行き来しながら、半農半芸の生活を実践されている。
 お二人の講演は、本校の生徒にとって、「ただ流されているだけの生き方ではだめである。目標を持って真剣に生きていくことが大切である。」ということを学ばせていただく素晴らしい機会となった。


◇「情報社会における農・農民の生き方」石川武男氏

 私は十年程前NHKで放送されていた「明るい農村」というテレビ番組に、年二、三回出演していた。その当時、茨城県の農業後継者の青年を巡って、畜産公害の話が出てきた事があった。私はこの件に関し、こう言った。「畜産公害という言葉はまやかしである。鉱山や工場から流れて来る毒物と、豚のうんこや牛の小便を一緒にするのは問題の本質をそらしている。豚のうんこで「水俣病」になったことを聞かない。そもそも農業後継者を責任を持って育てていくのが地域の責任であり、存在意義である。」私は、今日、こういう立場で話したい。
 情報化時代である今日、強烈な映像手段の視聴覚を通し、情報が家庭に直接入って来ている。この情報量は、年問四百十万件、つまり一日一万件を越えている。ある意図の下、沢山の情報の中からこれを報道しようといって選ばれ、作られた情報が、本物の姿をして私達の中に入って来るのだ。映像情報はその印象で身体が(思考が)奪われる。情報の心も意図的偽者だと気付く目を養う事を、今日のお土産にして帰って欲しい。
 四百年前地動説を唱え、裁判に掛けられたガリレオ・ガリレイの言葉でこういうのがある。「あなた方はなぜ人の言っている事、或いは印刷物になっている事をそのまま信じるのですか。何故自分の目や自分の体でそれを確かめないのですか。」人の言っている事やテレビ、ラジオ、新聞や印刷物になっていれば本物である如く、最も正しい事であるかのように思う。それは問違いだ。自分の目で見抜いていくという事が生き方というものだ。
 諸君達は学校で勉強し沢山の知識を今日まで得ている。人間一生涯で覚えられる知識には差がなく、早く覚え流動知能を養うか、ゆっくりと遅く覚え、体験的知能を蓄積するか、知能の質の差だけの問題だ。人間の知識量は生涯をかけて評価すべきものという事を肝に銘じて欲しい。
 印刷物や与えられたものをそのまま信じるのではなく、生涯をかけて逆転させ、新しい知識や農民の魂、志を人々の心の中に植え付けていくという任務を諸君達は鍛錬される必要がある。そのような志などなく入学した諾君もいるだろうが、そんな事は問題ではない。「たまたま縁が出来て、農の学びに入ったんだから、大いにやってやろうじゃないか。」という思いが励ましになるだろう。入学した動機はどうあれ、諸君はこの学校で友と語らい、修練し合い、栄光の農民の道を築き、自分の心を叩き直さねばならない。それが諸君に課せられている課題だ。
 次に、今日の情報杜会の中で若い人達の中に蔓延している病根について触れてみたい。人間には五感がある。しかし現代は、テレビやラジオにより、五感が潰されている。世の人々は情報機器の中に埋まって、ファミコンの虜になり、間違った印刷物の中にどっぷり浸かって、人間の心を動かす瞬間もあり得ない。体を動かしてその瞬間を味わう事もない。情報化社会の中、私が是非とも伝えたいのは、「見えない物、像を見よ。聞こえない音を聞け。」という事だ。見える物だけを見て、聞こえる音だけを聞いて自分の人生を決定しては駄目だ。見えない物を見抜き、聞こえない音を聞いてみるだけの力量を、実体験で積みあげ研ぎ澄まされた頭脳を、個性的・地政的・歴史的な農民知能を吸収し、「脳、、(農力を作り上げ、ていくという事が、これからの諮君達にとって大事な事だ。本当に何かに怒り、本当に何かに悲しむ。心の底から感動する。こうした心のあり方もまた重要だ。頭で理解しただけでは理解した事にはならない。手足を動かし、心で味わい、体ごと自覚しなければわかったとは言えない。この事を、これからの情報杜会の中で諸君達は肝に銘じなければならないと私は強く思う。
 最後にもう一度、諸君に言いたい事がある。二十一世紀に向けて志を新たにして、テレビ、ラジオ、新聞、印刷物などが歪んだ農業農民の像を壊さなければならない。見えない物を見、聞こえない音を聞いて、新しい農の思想、そして農業農民によせる志を諸君達の若い力で築き上げていかねばならない。日々の勉強がこれからの百年の新しい日本のエネルギーになるという事を掴まえて欲しい。諸君達の力で新しい農業農民の姿を先生方と作り上げて欲しい。今まで習ってきた事を全部ぶち壊し、新しい物の見方を山農での体験で作り上げて欲しい。それが山農の勉強なんだ。卒業して農民になろうとなるまいと関係ない。農業農民を守る日本の国民として、勇敢に諸君達の人生を捧げて欲しい。そういう貴重な人材である諸君達と共に勉強する事が出来た事を私の生涯の大きな誇りと思う。頑張ろう。



◇「牧場をつくろう」田中義剛氏

 私は北海道で牧場をやっている。土地の広さが二十四ヘクタール、約七万坪、東京ドームでいうと六個分だ。そのくらいの大きい規模の牧場を帯広の方でやっている。うちの事務所は、半農半芸をやっている。俺が北海道から東京に来たのは二十九歳の時だが、東京で一発やってその金で牧場をやってやろうと思って来た。それで、うちの事務所に入った。
 俺はいろいろな番組をやりながら、今農業の方もやっているが、このバランス感覚というのが非常に大事である。例えば、朝、牛の乳をしぼって、乗馬して、昼の飛行機に乗って一時間二十分で東京に着く。そしたら夕方からテレビの仕事が出来る。逆も可能である。そういう風に行ったり来たりして、人生二度おいしいっていうのが体験出来るのが良い。みんな都会だけでは生きられない。でも田舎だけでも生きられない。そういう風な時代が、今、来てるんじゃないかなと思う。
 俺がなぜ牧場をやろうと思ったかというと、実は、高校時代ぐらいの時は、将来、何をするべきかほとんどわからなかった。俺は高校時代に旅した。北海道に。その時に思ったのが、北海道は空がきれいだし、空気がいいし、ここで、牧場やったら最高にうれしいだろうなと。高校一年生の時、そう思った。それで将来は絶対に牧場をやってやろう、そういう風に思って、入った大学が酪農学園大学。牛の事しか勉強しないカレッジだ。はてしなく広い学校で、門から校舎までニキロメートルぐらいある。そこで、俺は肉牛研究会というところに人った。そこで随分牛については勉強した。
 もし、みんなの中でも、将来、牧場をやりたい、自分で農場やりたい、それから親の後継いでもっと大きくしたい、そう考えている人がいたら、やはり真っ先にぶちあたる壁が資金だ。俺は甘く考えていた。うちはサラリーマンで、ほとんどお金がない。俺が大学生の時に将来牧場をやるって言った時に、資金がいくらかかると言われたか覚えている。当時で、一億。そんだけの自己資金がないと出来ない。普通は、そこであきらめるよなあ。でも、田中青年はあきらめなかった。なぜか。じゃあ、一億稼いでやろうと、こう思った訳。今の俺らが一億稼ぐためには、スポーツで一発当てるか、芸能界で一発あてるか、そのくらいしかないでしょ。そこで俺は何をすべきか考えて、STVというラジオ番組のオーディションを受けて、見事当選。そこから俺のスターへの道が開けてきた。ところが、芸能界っていうのも、最初は稼げない。やっぱり牧場の夢は無理かと思った時に、よし最後の手段だと思って、二十九の時に、東京に乗り込んで来た。絶対、牧場をやりたいというのが白分の中で常にあった。それで今の事務所に入って、やっと、三十六の時、牧場をやれると。その時に、北海道の土地を捜し回った。
 それで、大型畑作のど真ん中で俺は牧場を始めた。当時、そこの牧場っていうのも、電気もない、水道もない。そこに家を建てて、電気をひいて、水道をひいて、それで牧場をつくろうと、それだったわけだ。
 ところが、どんな牧場をつくるか。今、農業っていうのは、どういう風になってきているか。これから重要視される農業っていうのはニュージーランド型の農業なんだ。ニュージーランドにはガーデニング文化やアフタヌーンティーの文化がある。世界中いろいろな所に牧場実習に行ったけど、こういう風にやりたいなと思った。それで、うちの牧場に花畑牧場というおしゃれな名前を付けて、花に囲まれた中で牧場を作り、その中にアフタヌーンティーという文化を取り入れて、今、やっている。そのアフタヌーンティーで何をするかというと、うちで作った牛乳からとったチーズ、バター、牛乳、これらを皆さんに味わってもらうという、そういう風に、今やっている。これが、非常に好評で、今年もたくさんの人が来てくれた。これは、あくまでも、観光農園とも違う。時間を限定して開放して、そこにいろいろな人に来てもらおうというような中で、今、うちの花畑農場はやっている。
 牛は、平均の乳量っていうのは、二十五キロぐらいかな。十勝だと一日に約三十キロから四十キロ出す。その三十キロの牛乳からチーズを作ると何キロのチーズが出来るか。チーズっていうのは、だいたい三十キロから三キロ出来るわけだ。
 今までの日本の酪農っていうのは、どっちかっていうと、牛乳絞ったのを直接農協におろす。そうした場合に一キロの牛乳が、北海道で、たったの七十円だ。本州で百円くらいかな。安いんだ。だったら、もう牛乳を、そのまま売らないで、自分で加工しちゃえば良い。だから、うちは、チーズを作る。固めて、半年問ぐらい熟成させたら、そのチーズは言い値なんだ。俺の。七千円で売る事も出来るし、一万円で売る事も出来る。それが、農業の面白さなんだな。これ、野菜も同じ。人が取れない時期に、作れない時期に、レタスであるとかを作った人は、値が上がっていく。そういう風にしていって、良いものを作れば作るほど、収入が上になるっていうのが農業の面白さなんだ。実は、うちの牧場は今、牛が、五頭しかいない。でも、ここで間違っちゃいけないのは、数だけ飼えばいいってもんじゃないという事だ。たった五頭の牛だけど、一日に一頭が間乳の時期だとしても、四頭だとして、四頭が一旦二十キロ出す。頑張れば、一日に十ニキロのチーズが出来る。それが花畑牧場チーズとして、もし一万円で売れたとしたら、一日十二万円の収入が出るわけだ。アイディアと自分のブランドを持つっていう事が大事。俺は、花畑牧場っていうのを、今度ブランド化しようと思っている。花畑牧場のチーズやアイスをやりたい。牛は、数じゃなくて、品質だ。
 牛乳は、まず水、それから餌。アメリカでは今、普通の、ミルクとエコロジーミルクっていう風に差が出来ている。牛も広い所で放牧させてのんびり草を食べさせて絞る牛乳と、狭い所に閉じこめて、配合飼料をガンガンやって絞る牛乳とでは価格が違う。こういうのは、これから、どんどん広がって来る。卵もそう。養鶏場の卵と地鶏の放牧された卵とでは、味も値段も全然違う。その辺が、これからの農業の面白いところだと思う。みんなも、こうやって、農業高校で、一回農業やるって決めたのなら、絶対に自分で考えて、自分のブランドを作ってほしい。誰々の何々ブランドみたいなのが、全国からいろいろ発信された時に、面白くなって来るのではないかな。それから、もう一つは、これからは有機農法っていうのが、絶対見直されて来ると思う。そのためには、今度は、牛を飼い、もう一つは馬を飼うという事も必要だ。うちは、今十二頭の馬がいるんだけど、それぞれ違う品種の馬を飼って、牧場で生活している。それで、その牧場というフィールドの中で、そういう動物と接する事によってのアニマルセラピー、動物医療って言うんだけど、そういうのもテーマになって来ると思う。これからの農業は、環境、それから安全な作物を作る。それから、都会の人の、そういうアニマルセラピー的な要素を取り入れていく。そういうのが、大事になって来るんじゃないかなと私は思う訳だ。
 俺も、今、やっと白分の牧場が出来て、本当にほっとしている。これからも、それをどういう風に展開してやっていこうかなと思っている。それで、最後にもう一つだけ、今日のこの講演で、記念すべき皆さんに;一口。将来、絶対、農業関係の仕事に就くんだったら、日本の農業っていうのは、これからやっと、世界競争なんだ。今までは、まだまだ駄目だったんだけども、やっとこれから世界の価格競争に勝って行かなくちゃならない訳。そうなるためには、日本は、何を目指すべきなのか。大量生産でなくて、本当に質の良い物をちゃんと作る、そういうところを目指していかなくちゃいけない。皆さん、一つこれから頑張っていただいて、安全でいい物を作る、そういう農業者を作っていただきたい。高校時代っていうのは、本当に、残り少ないし、良い友達を作って下さい。それから、農業実習だとかそういうのも、体に気を付けて、本当に頑張って下さい。もし良かったら、花畑牧場、空港から十分の所にあるから、是非遊びに来て、それでうちの牛乳でも飲んでみて。今日は最後までどうも有り難う。


学級経営の実践と評価
水越康吉先生

 平成十年五月二十五日(月)、本校会議室において、「学級経営の実践と評価」という演題で講演が行われた。講師は教育相談において、豊富な知識と経験をお持ちである水越康吉先生。先生は長年にわたり茨城県の高校で教鞭をとられてきた。以下にその内容をまとめてみた。
 担任の学級経営における実力は十一本の柱で決まる。
一、学級経営の目標は適切であったか。
 (一)学級経営の目標設定の手続きは正しかったか。
 (二)学級経営の目標は学年の発達段階に応じているか。
 (三)学級経営の目標は、学年・学級の問題点をくみとっているか。
二、生徒理解は的確であったか。
 (一)身体的問題や知的能力、家庭環境、交友関係等の理解は的確であったか。
 (二)性格や惰緒、興味、関心、自己概念等に対する理解は的確であったか。
 (三)自主性・社会性(自我)の成長に対する理解は的確であったか。
三、教師と生徒の人間関係は円満であったか。
 (一)生徒一人ひとりとの話し合いはどうであったか。
 (二)賞賛と叱責の度合いはどうであったか。
 (三)教師に対する親和感・信頼感はどうであったか。
四、学級の雰囲気は望ましいものであったか。
 (一)なんでも言える(他人の話をよく聞く)あたたかい雰囲気であったか。
 (二)協力的一連帯的・建設的な雰囲気であったか。
 (三)学級の問題を真剣に考え合う雰囲気であったか。
五、学級集団としての高まりがみられたか。
 (一)学習態度の形成とその成長変化はどうであったか。
 (二)学業指導は適時に適切な方法で行われたか。
 (三)学級の学習意欲の高まりはどうであったか。
六、ロングホームルームは生徒に充実感を与えたか。
 (一)テーマの設定や計画は生徒に切実感のある適切なものであったか。
 (二)事前の連絡や準備、切り込み方や展開の工夫はなされたか。
 (三)生徒は話し合いに積極的に参加していたか。
 (四)ロングホームルームは、教師・生徒に充実感を与又たか。
七、健康・安全への配慮は充分なされたか。
 (一)健康・安全のための教室の清掃や衛生管理は常時なされていたか。
 (二)健康・安全のための学級の組織は活動していたか。
 (三)健康・安全のための各自の理解と関心を高めることができたか。
八、問題をもつ生徒に対する指導は適切であったか。
 (一)問題をもつ生徒の早期発見の配慮がなされていたか。
 (二)問題をもつ生徒への理解が的確であったか。
 (三)問題をもつ生徒に対する指導の方法は適切であったか。
 (四)問題をもつ生徒の父母との理解関係はどうであったか。
九、進路についての学習と設計は適時になされていたか。
 (一)進路についての各学年での学習計画と準備は適当であったか。
 (二)職業・就職先・進学先についての情報提供とその理解は適当であったか。
 (三)進路の悩みや自己理解を深めるための指導援助は適宜なされたか。
 (四)進路の選択・決定が適時に意欲的になされていたか。
十、家庭との連絡は適切であったか。
 (一)学級(学校)生活と家庭生活の連絡や報告は相互に適時に行なわれたか。
 (二)父母との面談、家庭訪問、電話連絡等を通して、家庭との交流が図られたか。
 (三)父母との理解提携(信頼関係)は望ましいものであったか。
十一、学級事務は正確であったか。
 (一)学級の関係諸表等の適正敏速な整備・記入・保管がなされていたか。
 (二)学級として、関係金銭の出納・保管・報告は正確敏速であったか。
 (三)学校・学年・学級の生徒への違絡、結果の確認は適切になされていたか。
 以上のようになる。中でも三の教師と生徒の人間関係が円満であったかという視点は重要で、生徒が相談相手として教師を選ぶかどうかということで、ある程度これをはかることができる。しかし全体的に見て、生徒が教師を相談相手として選ぶ割合は低く、今まで行なったアンケートの結果では、二十五パーセントを越えることはなかった。
 また生徒指導を行なっていくにあたっては、人間としての発達段階をきちんとクリアさせることと、人間として生きていくために必要な二つの能力、学力(専門の仕事)と学級集団への適応力(組織に生きる力)をつけることが大切である。人間の発達段階は大きく五段階に分けて考えることができるが、その五段階とそれぞれの発達課題を示すと次のようになる。
一、乳児期(人間に対する信頼感を養うこと)
二、幼児期(身の周りのことを自分でやれるようになること)
三、児童期(家族以外の集団で適応すること)
四、思春期・青年期(自我の再構成)
五、成人(引き受けて、貢任をもってやり抜くこと)
そして、生徒指導を実践していく上では、教師間の共通理解、協力・組織化(学年・生徒指導・教育相談)、そして専門機関との連携が重要となる。
 問題行動を起こす生徒への対応については、その生徒をどう理解するかによって、指導はほとんど決まってしまう。そして問題行動と症状は、困難をうまく乗り切ることができると、内的成長を大きく促進する契機となる。表面的な行動や問題点の解決よりも、その行動や症状の意味(なぜ、どうしてなのか)を読み取り、その本来の意図、目的を達成できるように援助していくことが肝要となる。また、問題をもつ子へのかかわり方については、三つのことが考えられる。第一にはリレーション(よい関係)をつくること。第二にはその問題の意味を考えること。そして第三には、その問題解決のために適切な対応を工夫することである。
 そのためには教師側の態度として、やさしさと巌しさの関係が大切になるが、何よりも大切なのは、教師と生徒の間の安心した人間関係である。クラスの子どもを孤立させない配慮と、関係がもてる教師になるための自己変容が要講される。そして、「子供のやる気は必ず育つ」と言ったすごい実践家(信川実)は「教師がその邪魔をしなければ」(望ましい対応をすれば)という条件っきのものだという。教師ほど誉めることが下手な人たちもいない。生徒を誉めることは非常に大切なことだと考える。学級経営の生徒指導をめぐって難しい問題は職員の共通理解である。その代表は「やさしさ」と「厳しさ」である。問題は「その時点の、その子の成長に意味ある関係は何か」ということにつきる。やさしさに裏打ちされない、相手に役に立たない厳しさは残酷であり厳しさに辿りつけないやさしさはあまやかしであって共にむなしい論議である。本気ですれば大抵のことができる。本気ですれば何でもおもしろい。本気でしていると誰かが助けてくれる。あきらめることなくがんばって欲しい。



多様な生徒に対応した学校づくり
明石要一先生

 平成十年十二月七日(月)、本校視聴覚室において、「多様な生徒に対応した学校づくり」という演題で講演が行なわれた。講師は千葉大学教育学部教授、明石要一先生。以下にその内容をまとめてみた。
 戦後、「教壇から降りよう。」というキャッチコピーが流行したが、現在では逆に教壇に上がろうとしている先生が多いような気がする。教師は教壇から降りなければ生徒のことはわからない。生徒のつぶやきは聞こえてこないと考える。
 生徒を理解するためには三つの方法が考えられる。その第一は紙まき調査と呼ばれ、全校の生徒に紙を配り、何でもよいから匿名で注文を書いてもらうという形式のものである。その学校全体の傾向はよくわかるが、個人の顔が見えてこないという難点もある。そして第二の方法は、個人ヘインタビューするという形式のものである。その専門家が教育相談や進路相談の担当者ということになるが、これはとても難しい。カウンセラーを養成するのに約十年かかると言われており、本当の意味での専門家を育てるのに時間がかかるからだ。最後に第三の方法はウォッチング(観察)することであるが、これは子供たちのつぶやきや表情を見ながら子供たちの変化をよみとろうとするものだ。これが一番教育現場にとり入れやすい方法ではないかと考える。観察することによって見えなかったものが見えるようになるという視点に立って、生徒を見ていくとよいと思う。
 五十名を越える集団の中では、非常に熱心な人と少しだけ熱心な人の違いをすぐに知ることができる。一般的に講師の位置から見てTの字の場所に坐っている人が非常に熱心な人だと考えられる。また、席が前の方から埋まっていく集団は仲の良い集団であり、後ろから埋まって行く集団はあまり人間関係のよくない集団であるというふうに、観察することによって多くのことを知ることができる。生徒の場合も一年間学級経営をやってみて、前から席が埋まるようになれば、その学級経営は成功したと考えてよい。これらは因果関係ははっきりしないが、経験則と呼ばれるものである。ウォッチングしていくことによって、このような経験則を知ることができる。
 会杜の寿命三十年説というものがある。これは明治以降の会社約一万社を調べた結果のものであるが、一つの条件としては会社の平均年齢が三十歳を越えた場合に、そしてもう一つの条件としてはヒット商品への依存率が七十パーセントを越えた場合に、会社の寿命は三十年くらいしかもたないのだという。これを教員にあてはめて考えてみると、今や平均年齢は三十歳を大きく上回っているし、中・高の場合は専門教科は一つだけという形で教員生活を送ることが多い。教員も専門を三つくらいもっていれば、三十年以上続けられるということになるのかもしれない。これも一種の経験則であるが、教員を続けていく中で、自分の経験則をどう発見していくかということが大切である。
 小、中、高校生の最近の傾向について少し述べてみたい。まず最初に挙げられるのは、集団活動ができなくなったということだ。平成四年、小学校に生活科がとり入れられた頃から子供たちの様子が変わってしまったと言われている。生活科においては第一に子供たちの興味関心を優先させるため、子供の個性は育つが集団活動はできにくくなるというのだ。それに加え、幼稚園・保育園などでも個性尊重ということが叫ばれるようになった。保育園の運動会でバトンリレーをしている際、待っている子供たちがきちんと並べない状況を見て衝撃を受けたことがある。保育園で個性尊重教育を受け、小学校で生活科を学んだ子供たちがやがて高校にも入学してくることになるが、教師にとっては大変な状況となることが予想できる。集団活動ができない子供たちに対しては個別指導をしなければならなくなる。
 また小・中・高生の性差が消えたように感じられる。本来一番最初に性差が見られるのは小学校四年生の終わり頃からで、その頃から女子は三人組をつくり、交換日記などを始めるようになる。また転校生が来た際にも、女子はだまっていても友達になるが、男子の場合には教師が頼むとやっと友達になるというふうに性差がはっきりと見られたものだが、最近はその性差が消えつつある。
 最近、小・中・高生の声が小さくなった。聞こえないのでもう一度言い直させてもやはり声が小さい。これはおそらく自分の声の大きさを自分で把握していないためであろうと考えられる。最近の子供たちは外遊びをあまりしなくなった。本来子供たちは外遊びをすることによって、自分の声がどのくらいの距離まで届くのか知ることになるのだが、最近はその経験が少ない。また、親や教師が声の小ささを注意しなくなったことも原因として挙げられる。発表力がなくてもペーパーテストで学力を判断してしまう学校の姿勢にも問題があるだろう。最近の子供たちはあまり困った場面に遭遇することがない。世の中があまりにも便利になりすぎてしまったためであろう。困らないから大きな声を出さなくてすむ。本来は小学校時代に困ることにたくさん出会って、問題解決の学習をしておけば、中学生高校生になってとまどうことはあまりないはずなのだが、現実にはその下地がなくなってしまっている。
 子供たちの中に言いだしっぺがいなくなったことも最近の一つの傾向だ。今の子供たちは一緒に部屋の中にいてもばらばらに遊ぶ。「~しようぜ。」とリーダーシップをとる子供がいないからだ。大学生を例にとってみても、最近はコンパの幹事をやる学生がいない。これは大人社会の中でも見られることで、職員旅行の幹事をやりたがる人がいない。かつては若い人の仕事だったが、最近はその若い人たちがこれをいやがるのだ。学級経営においても、かつては勘所だけおさえておき、あとは子供たちにまかせておけばうまくいったものだが、今まではそのようなことも成立しない。
 また学校自慢・地域自慢のできない子供たちが多い。大学においても県人会や高校の同窓会を知らせる立て看板がこの十年の間に消えてしまった。子供たちは学校や地域に興味をもたずに生活しており、学校にも地域にもあまり良い思い出がないのだろう。
 学校と社会教育の違いについて考えてみると、一番の大きな違いは学校は朝になると生徒たちが集まってくるということを前提に運営されているが、公民館などの社会教育においてはまず生徒を募ることから始めなければならないという点にある。また、学校ではクラスと教師を選ぶことができないが、社会教育の分野においては自由に選ぶことができるという違いもある。しかし、学校も今やのんきに構えていられる時代ではない。学習者の二ーズをどうつかんで、提供出来るかということが今後学校が生き残っていくための決め手となる。
 中学時代何に対してもがんばっていた生徒が高校に入学後パワーダウンしてしまうという例も多く見られる。かつては大学生の燃え尽き現象が問題となったものだが、最近ではそれが高校で目につく。それと同様に高校の先生もパワーダウンしたのではないだろうか。もう少しパワーアップし、子供たちに夢を語ってほしい。それが子供たちに伝わり元気になるのではないかと考又ている。



生徒指導の手だてを探る
大木みわ先生

 平成十一年十二月九日(木)、本校視聴覚室において講演が行なわれた。演題は「生徒指導の手だてを探る。」講師は植草学園短期大学教授、大木みわ先生。大木みわ先生は長年千葉県の総合教育センター等で教育相談に携われた後、茨城県のつくば国際短期大学教授を経て、植草学園短期大学教授の職に就かれている。以下にその内容をまとめてみたい。
 小学校五年生ぐらいが、思春期の入口であろうと考えられるが、その時期になると、子供は自分の人生を自分で考えるようになる。母子一体であった時代は終わり、「おかあさんの血液型は何型?」と質問を投げかけてみたり、「私は両親の本当の子供であろうか。」などと真剣に考えたりするようになる。そして子供の中の目覚めが、登校拒否や自殺などといったさまざまな問題を生む。また、自然の中には命のプログラムのようなものができており、ボタンひとつであらゆる状態が変えられるようになった現在の世の中においても、命のプログラムを変えることはできない。人間が一人で歩けるようになるまでには今でも一年という時間を要することからもそれはわかる。しかし、現代では、小学校五年生ぐらいになってもつ「私って何だろう。」という意識と命のプログラムとの間にずれが生じてしまい、そのずれから起こる問題が大きく存在している。
 私たちは、太陽や季節までコントロールできるような世界で生きているのだが、そのような世界にすんなりとなれていける人もいれば、逆に自然と触れ合っていないと生きていけない人もいる。縁側から素足で地面におりてみることがあるが、それは自分にとってはとても心地よい感触である。しかし、最近では砂の上ではだしになったり、芝生に寝ころんだりすることが嫌だという人、リラックスできないという人が多くなっている。土に触れたり、水をさわったりすることでよみがえることのできる人は、それをすればよい。しかし、それだけでは癒されない子供たちがいることも忘れてはならない。不登校の子供たちの中にはそういう子供たちが多いとい事実も注目すべきだ。
 昔、人は酒を飲むことによって憂さを晴らし、また人と親密に触れ合うことが多かった。しかし、今ではこれはもう古いタイプの人間。金を払ってまでそんなところには行きたいくないと考え、一人の空間にいる方が落ち着くというタイプの人も多くいる。見えないところで差のある人たちが一緒に生活していくということはとても難しい。歩くということは、空気、風、雨、そして多くの人々と触れ合うことができる行為。車を捨てて歩くことによって、体験できることもたくさんあるだろう。そういったものを私たちは便利な暮らしの中で捨ててきてしまった。日本は急激に変化が訪れた国であるので、新しい対応ができない。世の中は新しくなっても古いものさしではかろうとするからうまくいかないのではないだろうか。
 アメリカはさまざまは人種が集まって暮らしているところだけあって、心の問題は深刻で、そのため早くから心理学が発達した。また、トラブルが起こった時にはそれをどう解決するかというプログラムもきちんとでき上がっている。日本人も価値観の違う人が触れ合うことによって起こるゆがみをどうしたらよいか考えるべきだと思う。
 大人たちがつくった社会の中で、自分の生き方が見えなくなって、天の声や不思議なものに惹かれていく若者が増えている。新しい社会の中で生まれ育ってきた若者の不安定感を受けとめていく仕組みを大人たちは用意できていない。そしてそのような中で、「あれはやっちゃだめ。」と言うだけで、「君、なかなかいいね。」とは言ってやれないでいる。
 あるベテランの先生が、自分で見てきた青年たちと今目の前にいる青年たちはまるで違うと語られたことがある。その先生は、昔の青年の輝きのようなものがもう一度見たいとおっしゃるが、今の青年は昔のようには響かない。自分たちが育てておきながらつかみきれない命がそこには存在している。しかし、一方で若者たちは、自分たちがだめだなんて少しも思っていないのだということも忘れてはならない。
 長い間教育相談の活動をしてきて、動けなくなってしまった子供たちの中から学んだことがいろいろある。一九六〇年代の頃には、学校に行かないのは、子供が悪いからにちがいないと考えられていた。そして、どこが悪いのかを調べ、みんなと一緒にやっていけない子供をやっていけるようにすることがその頃のカウンセリングだった。その後、母原病、父親不在など、子供が問題を起こす原因を親に求める動きが目立ったが、やがて、管理教育が悪いのだという考えにまで変化していく。千葉県は不登校の率が高く、毎年全国で一位から三位の間を動いている。千葉県は工業化が急速に行なわれたため、大人たちが価値観までもスピーディに変えてしまった。子供たちはそれについていけなかったという現実がある。今持っている力ではどうしようもないような壁が目の前にたちはだかった時、子供の問題行動は起こるのではないかと感じている。
 この高校に来たくて来たのではない子供たちに対しては、ここに来てよかったと思ってもらえるような教育をしていかなければならない。「この先生に出会えてよかった。」「このことを知ってよかった。」と思ってもらわなければならない。「君たちはすばらしいものを身につけているということに自信をもって生きていってもらいたい。」と言ってあげてほしい。「だめだ、だめだ。」ばかりを言われる子供は結局何もできない。卒業までに、「君は素敵だ。」「なかなかいいよ。」と言ってあげてほしい。一見どうしようもない子供にも何か一つその子の良さを見つけることが、本当の意味でのプロの教師だと思う。その子も気付かないこと、親も気がつかないようなことを教師が見つけてあげなければならない。
 小学校にはじっとしていられない多動の子供がたくさんいるが、これを威圧してでもやめさせることは簡単である。しかし、原因をつきとめなくては本当の解決にはならない。症状だけとりあえず止めておけばやっていけるというのが、今までの日本式の考え方だった。小学校一年生の時は一年生の時にクリアしなければならないテーマ、小学校五年生の時には五年生の時にクリアしなければならないテーマがそれぞれあるが、それがうまくクリアできず、さまざまなものをひきずっているのが高校生である。その意味で高校の先生は大変だと思う。高校生になるということは、これまでとは違う異質の世界に入るということである。不安や孤独を感じ、急に学校に行けなくなってしまう子も多い。「朝学校に行こうとして戸を開けたら、外は宇宙だった。」と語った高校二年生もいる。生徒たちに対しては、「わかりたいから、助けたいからあなたのことを教えて。」というそんなつき合い方がよいと思う。
 近年、ピアカウンセリングがアメリカを中心に注目を集め始めている。ピアカウンセリングとは仲間同士が行なうカウンセリングのことだ。そういったものを学び、とり入れていくこともこれからは必要なのではないだろうか。教師は退学していく生徒が一人でも少なくなるように努力していかなければならない。育てる仕事はおもしろい仕事である。命からご褒美をもらってがんばっていこう。



アンケートを通して考えたこと
スクールカウンセラー 龍池忠雄 先生

 平成十二年七月六日(木)、「アンケートを通して考えたこと」という演題で講演が行なわれた。議師は本年度よりスクールカウンセラーとして本校に着任された龍池忠雄先生。以下にその内容をまとめてみたい。
 まず、この二ヶ月余りの間のカウンセリングルームの活動について多くの先生方のご協力をいただいたことに対して御礼を申し上げたい。ありがとうございます。
 さて、この学校に配置され、係の先生から「なにかをやってみたい。」との提案があり、そこですぐに考えたのが、高校では中退者が非常に多いという現状である。中途退学者の減少を目的として、学校に適応出来ていない生徒を早期に把握し、適切な対応をすることが必要であると考え、アンケート調査を試みることにした。当初は新入生を対象として考えたが、教職員の御理解のもと、全校生徒へのアンケートとなった。アンケートは健康・自己評価・交遊・学校に対する意見・家庭生活上の問題に分けられる。以下にその結果についての説明をしたいと思う。アンケートは三つの選択肢が用意され、当てはまる項目に丸をつける形式とした。
 まず、健康についての問題であるが、結果は四分の一の生徒が「睡眠が不足している」と回答している。他の高校の資料が手元にないため比較できないが、この数字は決して少なくないものと思われる。後に行った面接の印象では、通学時間の長さと部活動への参加が睡眠に大きく影響しているらしく思われる。「疲労感を常に感じている」生徒も三十四パーセントに上るが、これにも睡眠と同様の傾向がみられる。全体的に見て深夜になってから床につく生徒、生活習慣が乱れてしまっている生徒が多いように思われる。
 次に白己評価についての質問であるが、ここでは自己評価の低いことが、不適応感をもっていることの指標となるとの考えがある。結果は、二十三パーセントの生徒が「常に他人の目を気にして」行動していることがわかった。面接の様子では女子に多いような印象を受けた。
 次に生徒の交友関係に関するものであるが、どうやら生徒が学校にくる一番大きな魅力はこの交友関係にあるらしいことがわかる。良い友達関係を校内に持っているかどうかが学校に適応する大きな要因であることを知ることができる。ここで気になるのは約三パーセントの生徒が「校内に友人がいない」と回答している点である。友人がいなくても一人で強く行動できる生徒であれば余り問題はないが、そのような強さのない生徒にとっては、友人のいないことは耐えられないような苦痛であると思われる。また六十一ニパーセントの生徒が「頼れる先輩を持っていない」と回答している点も非常に気になる。高校時代は一つのモデルを作り、その人の真似をして自分を築いていく時期でもある。そう考えると、そのようなモデルとしての先輩をもてないということは大きな不幸であるともいえる。原因を考えてみると、部活動が良き先輩を見つけるための場になっていることが多いのだが、この学校ではあまり部活動が盛んでないことが挙げられるのではなかろうか。
 学校についての質問項目については、「学校に馴染めたか」との質問に対して、一年生においても九十四パーセントの生徒が「馴染めた」と回答している。しかし、二、三年生になっても未だ「馴染めない」と感じている生徒が六パーセントから七パーセントおり、この生徒たちは学校に馴染めないまま登校し続けていることになる。「卒業する」という目標だけが彼らを支えているものと思われてならない。学校への満足感については、学年が上がるにつれ、不満を持つ生徒の割合いが増えていく傾向にあり、全体では三十六パーセントの生徒が不満であると回答している。又、「学校を辞めたいと思ったことがあるか」との問に対しては十三パーセントの生徒が「常に辞めたいと思っている」と回答している。この十三パーセントの生徒が退学予備軍かどうかということまではわからないが、注意を要するグループであることだけは確かなようだ。十三パーセントというのは九十四名ということになるので、かなりの数ということになる。
 アンケートからわかることは以上であるが、アンケートに協力してくれた生徒達の反応はとても真面目なものだった。アンケートの回答パターンを見れば大体その生徒が真面目に回答しているか否かを知ることができるが、ほぼ全員が真面目に回答してくれていた。ここに真面目で従順な山農生像が浮かんでくる。また一方ではこれまでに自分の意見を聞かれるという機会をこの生徒達は持てていなかったのではなかろうかという疑問も浮かんでくる。多分なかったのではないだろうか。アンケートの中には自由記述欄も設けてあるが、この欄にも予想以上に多くの生徒たちが記入してくれている。このことから、このアンケートは生徒達から歓迎されているのではないかという推測も生まれてくる。
 アンケート終了後、一年生全員との面接を行うことになった。面接では、山農に対するイメージ、山農の良い点、部活動に入っているかどうか、授業についていけるか等の質問を中心に話を進めていった。一人一人にあってみると、とても素直に話をしてくれ、嫌な思いをすることもまったくなく、とても楽しく生徒達と話をすることが出来た。
 アンケート・面接を通して私が生徒達に抱いたイメージについて、次にお話ししたいと思う。まず、生徒は入学前は山農に対してあまり良いイメージを持っていない例が多いのであるが、入学後は「それほど悪くはない」というふうにポジティブに印象を変えているという点が注目される。反面、一部の粗野な生徒達に対して嫌悪感を持っていて、もっと和やかに学校生活を送りたいと考えている生徒もいる。また一方では、校則の厳しさを指摘する生徒も多く、中でも髪の毛やソックスに関する不満が多いようだ。校則が厳しいということは閉塞感や被管理的な不自由さを生徒達に抱かせ、個人の尊厳を損なうことにもなるのではないだろうか。これは学校への帰属感や誇りを持とうとする際に、マイナスの影響を与える。また、生徒を蔑むような教職員の言動に対しても非難の声がある。授業の進め方に対する批判も少なくはないが、一方農場実習・実験などについて肯定的な意見が多いのにも驚かされた。土に触れ、動物と接する体験が高校生達に喜びをもって迎えられているのだということに健康さを感じた。
 面接を行っている中で常に考えていたのは「この生徒達を学校にひきつけているのは何か」「学校生活、将来に対して目標を持っているのか」ということだったが、あまりよく伝わってこなかった。学校に生徒を引き付けている要因としては、交友関係と部活動の二つが大きいと考えられる。また消極的な理由としては「高校だけは卒業したいから」「親がうるさいから」「とりあえずやることが無いから」などということが考えられる。このように消極的な理由によって学校につながっているケースは意外と多く見られた。高校生の段階で将来を決めるということは確かに難しいことだが、高校生活への積極的な意味づけを見出せないことは寂しいし、残念なことでもある。
 最後に、スクールカウンセラーとして何ができるかということについて触れてみたい。面接を通して各クラスに五名前後の気になる生徒がいるが、この生徒達との面接を今後とも継続していきたいし、また残りの九十五パーセントの生徒達についても、より学校生活を充実できるような関わり方ができることを望んでいる。