ドラマ 『澪つくし』 から

同番組風俗考証担当 永澤謹吾

 昭和六十年(一九八五年)度前期(四月一日〜十月五日)のNHK 朝の連続テレビ小説『澪つくし』の舞台に銚子市が選ばれた。 昭和という時代の節目(還暦)にあたり、物質文明の豊かさとうらはらに 欠如している愛と勇気を訴えたドラマ─作者ジェームス三木 は「男の気質と気品を訴えたい」と得意のペンをふるい、制作の中村 克史プロデューサーはじめスタッフ一同は「物はどんどん捨てさせて、 なにがなんでも消費量を増やそうと躍起になる時勢に、まさに生きも のとして、いつくしみ、はぐくんで生み出す天然醸造一家と、海難と いう苦しみに耐えながら拓いていく漁師のバイタリティーを描きた い」と制作に身を尽くした。
 この番組中、醤油醸造業の娘として選ばれたヒロインが、かをる役 の沢口靖子で、県立銚子高女の生徒として登場することとなった。番 組の風俗考証を担当することになった私は、まず昭和初期の県立銚子 高女生の学校や家庭の生活ぶりの調査考証から仕事を始めることに なったのである。
 放映第一回目初日のシーンに外川の浜が舞台となり、その砂浜で油 絵のモデルになる古川かをるが登場する。ト書には「かをるは髪を三つ編み にして、三本の線の入った袴をはいている」とあり、その調査考 証が私の初回の任務となった。
まず、当時の卒業生を口づてに探しあて、四人の女性に面会した。 半世紀も前のことなのに、どの方も記憶は鮮明であった。特に三本線 には、温良・貞淑・至誠の意味がこめられ、太平洋の波をかたどった とか、利根川の川波をかたどったといわれることまでご教示頂いた。 この三本線の意味は、放映の初日、学校に無断で絵のモデルになった ヒロインのかをるが、教師に注意を受ける場面にとりあげられた。ま た、「袴の裾につけた三本線のことは、母校が昭和四十七年に発行の 『六十周年記念誌』にも書かれているはず─」という四人のアドバイ スで調べてみると、確かに記載されていた。それによると、校章とし て袴の裾より二十pほど上のところに三本の白線をつけること、生徒 の小林悦子さんがモデルになり校章として適当かどうか校庭を歩いて 先生方に見せて決めたこと、さらに、線と線との間は一本間隔にした こと等がわかった。同誌の口絵の写真コピーと共にNHK担当に送付した。 ところが、放映の画像を見て驚いた。私の印象からすると、白線一 本ずつの幅が太すぎるように感じられた。視聴した卒業生の何人かか らも同じ疑問の電語を頂いたので、NHK担当者に電話してみると、 「三本線を強調するため、故意に太くした」とのことだった。
 私の担当した風俗考証の中で、特に忘れられないこと─それは、 三本線の調査でお会いした卒業生のSさんが、なにげなしに洩らされ た一言であった。「卒業式のとき、来賓の方が『良妻賢母となる第一 条件は、家庭の塩になることです。塩味は目立たないが欠くべからざ る味であるからです』と、おっしゃったご挨拶で、その言葉はいまで も忘れられません─。」私は、この思い出話の一言を、三本線の考証 の添え書きとして報告しておいた。
 しばらくして送られてきた台本(四月十六日放送分)の銚子高女卒 業式のシーンの中、吉野源十郎校長の式辞に次の様に述べられている ではないか。
たとえば銚子の重要な産業であるところの醤油を考えて頂きた い。醤油の原料といえば誰でも、大豆である小麦であると答える でしょうし、その答えは間違っていない。しかしながら醤油の原 料としてもうひとつ、塩があることを忘れてはなりません。陸の 大豆と小麦に、海洋資源の塩が加えられて、はじめて醤油の醸造 が成り立つのであります。三度三度の食事においても、おかずの 塩加減は甚だ難しい。煮物でも吸物でも塩が効き過ぎるのはよく ないし、塩が足りないのも間が抜けておいしくありません。そし てちょうどいい塩加減というものは、目立たないものであります。 目立たなくていながら、引き締めるところはきちんと引き締める、 ここが大切なのである。私は卒業生の皆さんに、家庭の塩になっ て貰いたい。社会の塩になって貰いたい。
(出典「澪つくし」台本)
 このセリフが、市民や現役の銚子高女生らエキストラが俳優陣に混 じって熱演する中で語られることになったのである。
 さらに、Sさんの塩の思い出話は、ここのシーンだけにとどまらな かった。ドラマは、銚子高女を卒業したヒロインのかをるが、愛する 漁師の吉武惣吉と野越え山越え苦労の末やっと結婚し、昭彦・和彦と いう双生の愛児を授かったのに、惣吉の乗る利根川丸が遭難し(ドラ マではやがて生還する)婚家と離縁し、醤油醸造の実家に戻ったとき、 再び話題になるのである(第一一九回・八月十六日放送)。
女は家庭の塩になれ。社会の塩になれ。料理の味加滅は塩が大 切である。塩は目立たないが、要所要所をきちんとひきしめる。 かをるは、女学校の卒業式で校長先生がいった言葉を思い出して いた。醤油醸造の原料も、大豆と小麦のほかに欠かせないのは塩 である。
(出典「澪つくし」台本)
というナレーションとともに、映像は、かをるが実家の醤油工場で、 塩の山の前にたたずみ掬ってみたり、なめてみたりしながら考えこむ。 そして、番頭の梅木との再婚を決意し、父母の前で「長い間、ご心配 かけました。私、坂東家の塩になります」と、申し出る。
 なにげなしに語ってくださったSさんの卒業式の思い出話が、ドラ マのテーマにも結びつく場面にとり上げられるという幸運に恵まれた。 バレーボール競技の服装についての考証の時は、当時選手として活 躍したNさんMさんにお世話になった。お二人は、東京でご健在の恩 師を探しあて、電謡までして確かめてくださった。
 昭和二年以降発刊の「河畔」(銚子高女学友会、同窓会機関誌)を Yさんから提供頂いたことも有り難かった。また「六十周年記念誌」 の口絵の写真(「忠孝」の掛軸のかかった作法室、大正十一年当時の 正門風景、その他)や旧職員や卒業生の回想記も大いに役立った。 卒業式の会場や授業風景の教室などのロケ地選びでは、苦労も多 かった。ドラマの設定条件が昭和初期ということなので、 改築前の市内の小中学校や公民館はもちろん、東庄町、海上町、 山田町まで調べ歩いた。 その間、数多くの銚子高女卒業生から適切なアドバイスを得た。
 ドラマ「澪つくし」は、銚子高女の語題からスタートしたが、 第一週の視聴率(ビデオリサーチ関東地区調べ)は、なんと四〇%と驚異的で、 以後も高視聴率を維持できた。銚子高女関係各位の絶大な協力支援のお蔭と 制作スタッフの一員として、心から感謝する次第である。
創立九十周年記念誌より