各界で活躍する卒業生からのメッセージ

平成11年(1999年)卒業
M.N.さん
平成12年(2000年)卒業
H.S.さん
平成13年(2001年)卒業
T.S.さん
平成18年(2006年)卒業
T.S.さん


平成11年(1999年)卒業 M.N.さん (長狭中出身)

● 略歴

私は安房高校を1998年度に卒業し、東京大学へ入学しました。
大学で勉強をするうちに物理に興味を持ち、大学を卒業した後も、大学院に進学して勉強を続けています。
今、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻の博士課程の3年生で、山本智教授が率いる山本研究室に所属しています。
大学院では2年間の修士課程とそれに続く3年間の博士課程があります。
この間、研究室に所属して、教授や先輩の指導を受けながら実際に研究をすることで、 研究の進め方を身につけていきます。

● 研究の内容

私の研究は、宇宙で起こるさまざまな現象を調べてそれらの現象が起こる仕組みを明らかにする、宇宙物理学と呼ばれる分野にはいります。地球から遠く離れた宇宙での現象を調べるために、ミリ波・サブミリ波という目には見えない光を観測しています。

ミリ波・サブミリ波では、宇宙にあるガスを調べることができます。
宇宙には太陽のような星の他にガスがあり、このガスから星が生まれたり、星が死んでガスに戻ったりしています。
このガスを調べることで、星が生まれる仕組み、さらには太陽系や銀河系が作られる仕組みを明らかにする手がかりが得られます。

ミリ波・サブミリ波を観測するには電波望遠鏡という装置を使います。

電波望遠鏡はなるべく標高が高く乾燥した場所に設置されています。
ミリ波・サブミリ波は、曇っていなくても地球の大気、特に水蒸気に遮られて、地面に届く時にはかなり弱くなってしまうからです。そういう場所は、日本でいうと富士山頂です。
山本研究室では、電波望遠鏡を富士山頂に設置していました。
富士山頂サブミリ波望遠鏡というこの望遠鏡は、2005年まで運用していたもので、私も望遠鏡のメンテナンスのために富士山へよく行きました。

私がいま使っている主な電波望遠鏡は、野辺山宇宙電波観測所にある45m電波望遠鏡や、南米チリ共和国にあるASTE望遠鏡です。

● 南米チリでの研究

ASTE望遠鏡が設置されているのは、アンデス山脈で標高4800m、アタカマ砂漠というとても乾燥した場所です。
この地域は世界的に見ても観測に適していて、次世代の電波望遠鏡、ALMA(アルマ)が建設されているのもこの地域です。

この場所に、山本研究室で開発した電波望遠鏡を設置したこともあります。
それは可搬型18cmサブミリ波望遠鏡です。写真はASTE望遠鏡の隣で、この望遠鏡が、宇宙から来たサブミリ波をようやく捉えることに成功した瞬間の様子です。

チリでの生活は大変でした。 空気が薄く、高山病になりかねません。 日差しがとても強いので日焼け止めは欠かせません。 おまけに、スペイン語しか通じません。 ただ、時々リャマに遭うことができ、心を癒されます。

 普段の生活

チリをはじめ、国内や海外に出かけることは時々あります。 その目的のひとつは、望遠鏡を使って観測をすることです。 もうひとつの目的は、研究成果を発表することです。
発表の場には日本中あるいは世界中から研究者が集まり、お互いの成果を見せ合い意見交換します。 私の場合は、日本天文学会が主な発表の場です。

もちろん、出張するのは時々です。
普段は、山本研究室がある本郷キャンパスにいて、望遠鏡に取り付ける装置の製作や、望遠鏡で取得したデータの解析をしています。
休日には、自宅でゆっくりしたり、合唱団に参加したりしています。私は、安房高校で音楽部に所属して合唱を始めてから、大学でも合唱団に参加し、今でも歌いつづけています。

今年度、いよいよ私の大学院生活は最後の一年を迎えました。 博士課程を修了するためには博士論文を書かなければいけません。 今は、一人前の研究者を目指して、博士論文と格闘中です。

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平成12年(2000年)卒業 H.S.さん

 三芳中出身,安房高校卒業後,自治医科大学医学部医学科に進学,今春医師国家試験に合格し現在研修医として国保旭中央病院に勤務しています。

 私は体育会系で,高校時代は体操競技部に所属,学校行事すべてに全力投球しました。進路はのんびり考えていましたが,多くの先生方に励まされクラスメイトに刺激され,高3の9月から医師を志しました。

 大学では,1年次からハードな解剖実習や病棟実習がありました。毎日遅くまで勉学に打ち込むことができたのは,安房高で身に付けた学力と体力,チャレンジ精神があったからです。勉強と同時に,ボランティア活動やサークル活動に励み,フランス・イタリア・中国・ベトナムなど海外で貴重な経験をすることができました。

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平成13年(2001年)卒業 T.S.さん (館山二中出身)
○ 簡単な自己紹介

 私は,現在,さいたま地方裁判所で裁判官をしています。簡単に経歴について触れますと,私は平成13年に安房高校を卒業して一橋大学法学部に入学し,平成15年に司法試験に合格し,平成17年に大学を卒業して司法研修所に入り,1年半の修習を経て平成18年10月から裁判官としての仕事をしています。
裁判所
裁判官バッジ

○ 安房高校時代について

 私は中学校くらいから,法律家という仕事を目標にしていましたので,高校時代から勉学に励んでいました。安房高校は地域の進学校というだけあって,周りに優秀な仲間も多いため,相談したり競い合ったりすることで勉強にも自然と力が入ったものでした。また,私は法学部を目指していたので文系を選択したのですが,理系も好きだったこともあって物理部に所属していました。部活の仲間たちと放課後はくだらないことも含め,いろいろなことをして親交を深め,文化祭前は発表に向けて真剣に研究に取り組みました。

○ 大学時代について

 司法試験という目標があったため,法学研究系のサークルに所属し,大学1年の秋頃から予備校に通うなどして勉強を開始しました。法律は難解なところも多いですが,正義や公平とは何か,といったことを考えることが好きな私は結構相性が良いみたいで,それほど苦になりませんでした。勉強の甲斐あって,大学3年時に初受験で司法試験に合格することが出来ました。それと,大学3年からは会社法・証券取引法ゼミを選択し,M&A,株式などについて勉強していました。せっかく勉強したので,実際に株取引や外貨取引もやってみましたが,経済について考える習慣がつくという意味では良かったかと思います(当然,損失を被るリスクについて覚悟もしなければなりませんが。)。大学の仲間は,同じ法曹業界に進む人,官僚になる人,金融・製造その他民間企業に就職する人など様々ですが,今でも時々情報交換をして刺激を受けています。

○ 修習時代について

 司法修習の制度はここ数年変化が激しいのですが,私のころは,全体が1年半で,始めの3か月が司法研修所での前期集合修習,その後3か月ずつ民事裁判,刑事裁判,検察,弁護という4か所の実務を通じて研さんを積む実務修習があり,最後に法律家となるための最後の関門である2回試験(司法試験が1回目で,この試験が2回目の試験という意味です。)に向けて勉強する後期集合修習があるという流れでした。司法試験に合格するのには時間がかかるのが当たり前ということで,私の感覚ですが,同期の修習生の平均年齢は30歳,人数として多数を占めているのが26歳くらいに感じました。周りは皆年上ですので戸惑うこともありましたが,気後れすることのないように努めていました。修習生という身分は不思議なもので,非常に知識が乏しく仕事のできない存在であるにも関わらず,勉強していれば給料がもらえ,行く先々で丁重に扱われ熱心にいろいろなことを教えてもらい,普通では体験できない様々な体験(倒産したゴルフ場の見学,スリを捜査する刑事に同行,死体の解剖の立会など)もさせてもらうことができました。また,自分の作成した判決起案などが,部分的に修正されて実際に使われることもあります。このような経験を通じて,責任感を強く実感しました。

○ 今の仕事について

 裁判官というと,刑事のイメージが強いかもしれませんが,私は基本的に民事の裁判を担当しています(月に2回程度は逮捕状などの令状を出す刑事の仕事もしています。)。裁判官になってから5年が経過するまでは,単独で判決を書くことができないなどの制約がありますので,合議事件で3人の合議体の一角となって仕事をすることが主となります。といっても,実際には合議事件の主任裁判官として,事件について合議体の中で一番詳しく検討し,合議する際は合議を主宰し,判決を書くときはたたき台となる判決案を作成するなど,合議体の中で最も合議事件に真剣に向き合うことになります。通常,合議事件となるのは難しい事件が多いにも関わらず,裁判官になりたての人に合議事件の主任を担当させるのは,裁判所が人を育てることに熱心なことの表れだと感じています。また,裁判所というのは非常に平等なところで,合議の際には裁判官がそれぞれ平等に発言権を持ち,理屈がしっかりしていれば一番若い裁判官が年配二人の裁判官の意見を変えさせることも可能です。非常に風通しがよくて,仕事がしやすい環境です。
一方,裁判官の持っている権限は強く,(控訴などの異議を述べる手段で変更される可能性はありますが)人を一定期間拘束することや,住居から出て行けと命じたりお金を支払えと命じたりすることができてしまいますので,誤ることがないようにできるだけ注意をしています。そのような観点からしても,勉強の日々が続きます。でも,それだけでは息が詰まりますので,多くの裁判官は打ち込める趣味を持っています。何事もメリハリが大事なのではないでしょうか。

○ 高校時代から通じることについて

 私の経験からすると,具体的な目標を持っているということは強みになると思います。かといって,それだけを見て視野が狭くなってしまうのも得策ではなく,自分の可能性を広げられるようにしておくと良いと思います。思い返すと私は安房高校時代からそのような行動をそれほど意識的ではありませんでしたが,とってきたと思いますし,安房高校にはそのようにできる土台があると思います。

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平成18年(2006年)卒業 T.S.さん

 東京外国語大学2年 (鋸南中出身)

 私はたくさんの言葉を勉強して,世界中の人と話がしてみたい,仲良くなりたいという夢を持ち,英語科に入学しました。そして充実した3年間を過ごすことができました。テニス部では,多くの仲間と苦楽をともにし,思いっきり熱中しました。

ベリンハムでの語学研修ではホームステイ先の家族が本当に優しくて,いつも気遣ってくれました。言葉が通じたとき,分かり合えたときの嬉しい気持ちを何度も経験することができました。そしてアメリカにもう一つの家族ができました。

東京外大へは友達や家族,担任の先生が強力な援助をしてくれました。とても感謝しています。現在カンボジア語を専攻しています。見たこともない文字に驚きましたが、実際カンボジアに行って現地の人と話をすることができたときは猛烈にうれしかったです。今,外国人児童生徒への学習支援活動をしています。将来先生になって日本語教育や国際理解教育に携わりたいと思って勉強しています。

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