創立80周年記念誌「80年の歩み」より

 陸上競技部

 勝つ負ける、スポーツの世界の勝敗二道はきわめてきびしいものであり、スポーツの道を歩むものにとって逃げることの出来ないものである。「スポーツの栄光」それは勝敗の二道の歴史と共に限りなく追い求められるものである。我が、陸上競技部は長い歴史の中にあって輝ける全国高校駅伝大会に八回の出場を果たしている。また、関東高校駅伝大会へは常連校とし、さらに、全国高校総合体育大会へは多くの選手を送り出してきた。その栄光は単にスポーツに対する厳しいトレーニングのみで達成されるものではない。ひとりひとりの人としての質的向上、人としての強さ・豊かさ、さらに相共に切硅琢磨出来る人でなければあり得ない。それと同時に今日まで成長を温かく見守っていただいた学校関係者や母校の諸先輩方をはじめ多くの方々の存在があったからである。ここで過去を回顧するのでなく、この貴重な歩みを受けとめながら更に一層の成果を納めるように前進していくことを念願している。




 野球部

 ここ数年、本校野球部の部員数は、三学年で十五人前後と少なくなっている。中学時代に活躍した生徒はほとんどおらず、別の競技をやっていたという者もいる。しかし、練習に対してはひたむきにとりくむ者が多く、途中で辞めてしまうことは少ない。
 普段の練習は三時問ほどであるが、その大半をキャッチボールやノックなどの守備練習に割いている。まずはできるだけ失点の少ないチームを作り、夏の大会の一勝につなげたいと考又ている。
 夏の県大会では、平成五年に再々試合の末、銚子水産高校を破って以来勝利から遠ざかっている。毎年夏にスタンドヘ応援に来てくださっている多くの保護者、OB、職員の方々のためにも、今度こそ球場に校歌を響かせたい。





 水泳部

 水泳部のここ十年の活動は少人数ではあったが、競泳の大会に出場するとともに、平成四年より水球の選手も集め、五年から七年の三年間は県大会にも出場した。
 水球という種目は、フィールドプレiヤー六名、ゴールキーパー一名の、計七名で編成され、プールの中で足をつかないハンドボールを行うようなゲームである。又、両手でボールを持つと反則で、選手の交代はアイスホッケーのように自由である。イタリア、スペインではプロリーグがあり、ハンガリーでは国技にもなっているほど盛んである。
 日本では、選手人口はまだ少なく、あまり普及していないが、その中でも千葉県は全国的にみると、レベルも高く高校生チームが二十五チームある。
 本校でも、水球の選手を集め始めた平成四年当初は、人数がなかなか集まらなかったが、他校との合同練習会を重ね、県大会出場を目指し練習に励んだ。平成五年からは、競泳選手も交え県大会出場の人数を確保することが出来、その年の新人大会より参加することが出来た。初戦は、一回戦、四部リーグ、幕張西高校との対戦であった。泳力、技術力、戦術等あらゆる面で力不足で、満足の行く試合結果は得られなかったが、本校にとっては初めての試合で、緊張と不安の中、選手は最後までよく頑張ったと思う。
 ゼロからのスタートであったが、次年度の目標もでき部員の活動も活発になり期待がもてた。又、シーズンオフのトレーニングにも選手自ら工夫するなど筋カアップも心がけた。




 山岳部

 山岳部は慢性的な部員不足に悩んでいる。そのなかで、平成四〜五年の頃は丹沢山塊を中心に、平成八年には高体連主催の新人大会で足尾.庚申山に登頂したこともある。その他、高体連の安全登山技衛講習会や活動紹介と勧誘を意図して文化祭に参加した。日常の活動としては、ランニング、近隣神社の階段の昇降、ザックを背負って九十九里海岸までの往復ニアント設営と炊事.読図や天気図作成等幅が広い。自然と生命を対象とする農業高校で、部員が集まらないことは、大変寂しいことである。




 生物部

 この夏休みは合宿で岬町の太東海浜植物群落および夷隅川河口付近の野生生物の二泊三日の調査に行ってきた。参加者は十名であった。
 植物班は大竹と森本、鳥獣班は白鳥と時田と田中、昆虫班は実方と烏海、水質班は藤田と中野と与儀、引率は猪野教諭が動物分野、宮本教諭が植物分野であった。野生生物の生息生活状況を観察することが生物部の目的であると思うが、自分のテーマを継続的に追及するのは根性が必要だ。ちなみに昨年の合宿も十名の参加者であったが、山武農業高校OBの鈴木信夫さんとの出会いがあった。山武町板中新田にあるオートキャンプ場のオーナーをされている鈴木さんは四十年前に卒業された大先輩であるが、当時、生物の教鞭をとられていた西田誠先生の消息を訪ねられた。千葉県生物学会の副会長でもあり、千葉大学をついこの間定年退官された西田先生ときいて驚いた。当時、本校講師でいらしていたとのことであった。先生ご専門のシダ植物の話がやはり印象に残っているとのことであった。 さて、ここ十年のことになると、引き延ばされた写真、蝶の採集記録を残したノート、部誌、標本類、そして、生物部OBの方との出会い、これらが手がかりになった。雄蛇ヶ池のオオマリコケムシ、ネズミの組織切片、国蝶のオオムラサキ、これらの標本は、いずれも過去の活動を物語るもの、キジは本校校舎にぶつかったもの、テンやイタチは、いずれも交通事故死した個体を剥製にしたもの、ミズナキドリは海岸で拾ったものである。部誌には、ため池の烏や水草について、特に良くまとめられている。
 現在、本校生産技術科の講師をされている阿部育代さんは植物大好き人問だが、在学当時、校内合宿を行い天体観測までやっていたと思い出を話して下さった。平成六年度に本校に講師でいらしていた清水敏夫さんもOBである。クワガタムシの新亜種を鹿児島県で発見された方だ。顧問の方は着任順に、土屋、日向野、林、宮本、鵜澤、猪野と、この十年で六人が生物部を見守ったが、学校前にある蓮照寺のため池、宮谷神社の森、白里海岸がおおむね調査地として定着している。また、雄蛇ヶ池の水草や成東の食虫植物群落の観察にもおじゃました。先日、町役場の方が、ハマエンドウとハマボウフウという海浜植物を持参され、町興しの素材にしたいという相談があったとのことを、石井校長先生からおうかがいした。海浜植物については、平成六年度入学で部長であった加藤博樹さんが熱心に取り組んでいた。発表の場は校内文化祭で一教室をお借りして、ため池、林床、海岸のジオラマを展示するのがこのところの恒例となっているが、昨年は校内二位の評価をいただいた。
 千葉県生物会という生徒発表の場もあるので、校内だけでなく公の発表場所で他の高校の生物部の友達と交流を深め、野生生物について研究している諸先輩の批評を仰いで欲しいと思う。さて、今日は西暦二千年の一月五日である。冬休み申の四回の餌やり当番のうちの一日で、二年生の白鳥君が九時に生物室のドアを開けた。ウシガエルが十匹、大きな水槽の中で冬眠している。水草水槽の中にはメダカが泳いでいる。一年生の中野君がつくった海水魚水槽では、スズメダイに混ざってボラの稚魚が泳いでいる。これらにはステーブルフードをあげ、ガラス壁面を掃除している。カメは、ミシシッピアカミミガメである。かなり大きくなった。カメ専用の餌をやる。イモリとアフリカツメガエルには、ミミズをやる。人工気象器の中のコオロギやボルボックスは元気がない。野生生物を飼うのは難しい。殺してしまって心を痛めることもあるが、地域の自然環境についての観察研究と合わせて活動の一つとなっている様だ。地道に伝統を守って欲しく思う。




 吹奏楽部

 吹奏楽部は現在、一年生六名、二年生一名、三年生六名の計十三名によって活動を行なっている。活動日は月曜日から金曜日までの放課後。練習場所は音楽室。七、八年散までは部員数も多く、活動も幅広く行なわれていたようなのだが、ここ最近は部員数が十名前後という状態が続いており、コンクールなどへの参加もなかなか難しい。現在は夏の野球応援と十一月の宮谷祭への参加が主な活動ということになっている。
 吹奏楽部の誇れる点を挙げるとすれば、学年を問わず、部員同士の人間関係がとてもうまくいっているという点であろう。放課後の音楽室に流れる空気はとても穏やかで、顧問の私ですらそこに足を踏み入れるととてもやすらいだ気分を味わうことができる。また、本当に音楽が好きで好きでたまらないという生徒たちがそろっており、自分のパート以外の楽器にもどんどん挑戦している。ほとんどの部員が女子であるということも関係しているのであろうが、チューバなどの低音楽器を希望する生徒が少ないため、合奏すると音に厚みがどうしてもでないというのが現在の一番の悩みである。
 部員たちを眺めていると、練習もするが、お喋りをしている時問も長い。話に耳を傾けてみると、これがマスコミなどでしばしば取り上げられている今どきの高校生であろうかと耳を疑うことも多い。話の内容はひと昔前の高校生を紡佛させるものであり、言葉づかいも決して今風のものではない。きっと似た者同士が集まっている部であり、音楽も好きだが、何よりもそこに流れる空気が好きな生徒たちが集まってくる部、それが現在の吹奏楽部なのだろうと思う。




 演劇部

 平成八年四月より、活動を再開した。以来、毎年春と秋の二回、茂原農業高校文化ホールで行われている干葉県高等学校文化連盟演劇部会の地区発表会に参加している。秋季発表会で上演した作品は、宮谷祭でも発表している。また、平成十一年三月には、東金文化会館において、東金商茎局校・土気高校との合同で卒業公演も実施した。





 電気部

 特別教室棟の大規模改修が行われたのでこれを機会に物理教室や物理準備室の大掃除をしたところ、電気部の過去の活動を妨佛とさせる様々な残骸を発見した。乾電池が装填されたままで使用不能になってしまったトリオのTR-一〇〇〇や多数のQSLカード、低周波増幅回路と思われる電子回路が製作されているプリント基板、分解されたままで使えなくなってしまったトランジスターラジオの残骸、電気機関車などの鉄道模型などである。これらはQSLカードの記述内容や無線交信の記録簿などから約三十年程前のものと思われるが、電気現象に興味を持ち科学雑誌に啓発されながら電子回路を自作したり、アマチュア無線の資格を取得したりした過去の活動の様子が容易に想像される。
 電気部の輝かしい現在の活動状況を是非とも報告したいものであるが、近年、電気部に入部する生徒は少なく休部の状態が続いている。今年も部員数はゼロである。誠に残念なことである。昔は誰が聞いているとも知れない空に向かってどきどきしながら電波を発射し雑音の中から自分のコールサインが呼ばれたときの感動を多くの先輩諸氏が味わってきたものと思われる。今では誰もが携帯電話を所有し免許資格なしに、しかも話し相手を指定して呼び出し、雑音のない明瞭度の良い通信を楽しむことができる。実に科学技術の進歩の激しさを感じるが、多くの先輩諸氏が味わってきた感動を今では味わうことができないのであろうか。
 これらの多くの先輩たちが残した機械やQSLカードなどの活動の記録は後輩たちに受け継がれる日が来るまで大切に保管していきたいと考えている。




 社会科部

 社会科部は、主に地域の歴史・民俗・地理等を対象にテーマを設定し一夏休み等を利用しながら文献調査や現地調査を行ない、千葉県の発表大会や文化祭に参加をしている。
 平成二年度 千葉県歴史研究発表大会に参加
 平成四年度 山武のスギ林業について、千葉県地理研究発表大会に参加
 平成六年度 東金と船橋を結ぶ御成街道について、文化祭で展示
 平成九年度 モルディブ共和国について、文化祭で展示



 書道部

 平成二年から平成六年くらいまでは、部員が平均して五〜六名おり現在に比べれば活動も充実していた。年間の活動内容は、一学期は、各自が選んだ古典の臨書の半紙練習、そして何回か拓本取りにも出かけたこともある・夏休みより、宮谷祭、高校芸術祭にむけての条幅の作品制作に取りかかり、九月いっぱいを目度に仕上げ、二学期が始まるとすぐに、その他の出品物にも取りかかっていた。その年ごとにいろいろ取り組んだが、ろうけつ染めの暖簾、テーブルクロスなどが成功したと思われる。その他には、拓本してきたものを展示したり、てん刻作品を展示した事もあったが、いずれも練習時間が不足していた。そして中間テストが終わると、作品の表装が始まるのだが、小人数の為・毎日暗くなるまでの作業が何日も続き、何とか宮谷祭、高芸祭の展示に聞に合うという状態だった。宮谷祭.高校芸術祭が発表の場であるので、それを中心にスケジュールが埋まっていた。
 宮谷祭では、当初、展示用パネルなどなかった為、折りたたみ式の机を三段積み上げ、ワイヤーで崩れないようにつなぎ、代々隻け継いで来たベニヤパネルで壁を作り、上から暗幕をかぶせるという大変な力仕事があったのだが、近隣の学校の先生より、展示パネルの情報を得、購入する事ができたので、その後の展示会場づくりの苦労は半減した。また、展不物の内容も、部員数の減少により、年々、授業作品の出品点数が増えてきた。
 活動の中心は、何と言っても、秋の宮谷祭と高校芸術祭であったが顧問の都合により活動が途切れてしまった為に、部員は平成九年度の卒業生を最後に、いなくなってしまった。宮谷祭、高芸祭にも、平成十年、十一年と参加していない。